最近、記事が続けて書けてて嬉しいです。
エストニア、”再独立”の日
8月17日から25日にかけて、エストニアでは独立100周年のイベントがぼこぼこあります。
「ソ連から独立したのは1991年じゃないの?」という声が聞こえてきそうですが、1918年にエストニアは既に独立国家になっているんです。
なので、1991年にソ連がいなくなったのは、“再独立”ということになってます。
そして、その再び独立国家になった日が、1991年8月20日。
というわけで、独立100周年のイベントが、8月になってからまた続々と始まっているというわけです。
エストニア人5万2000人が100分間歌い狂う
前置きが長くなっちゃったけど、いいたいのはこんな教科書的な話じゃ無いんです。
その独立100周年のイベントの1つに、「The Power of Song」というイベントがありました。
で、行きました。
エストニアの首都タリンのコンサート会場が、超満員!!!
100分間ぶっつづけでエストニアの歌を歌いまくるというイベント。
さらにすごいのは、世界中からエストニア人達が中継(or録画?)で参加したこと。その数なんと5万2000人。
「エストニア人ってシャイだよね〜」とか「静かだよね〜」っていうのは、よくあるステレオタイプなんですが、歌に関してはみんなバリバリ歌う。
“老若男女”って言葉を体現する、観客の顔ぶれでした。
イケてる感じの(イケてるって言葉がイケてない…)若者もいれば、子ども連れの家族もいたり、おばあちゃんと孫の二人セットもいたり。
みんな歌ってたし、曲によっては踊り出してた。
MCとか一切無しで、とにかく100分間27曲歌い続けてました。
国旗振ってる人が多い。
なぜ泣きながら歌うのか。
歌う人の顔がアップで映し出されるのですが、途中から「あれ?」と思うことがありました。
「なんか歌ってる人、泣いてない?」
よく見なくても、頬に涙がつーーーっと流れてるんですよ。
「なんで?」ってまず思った。
興奮しちゃってるのかしら?と最初は考えてたけど、その内なんとなくわかってきた。
最近の一連の電子政府ブームで忘れがちだけど、エストニアは、まだ再独立してから27年しか経ってない。
多くのエストニア人にとって、こんな自由にエストニア語の歌を歌えることはちょっと前までは有り得ないことだったはず。
よくよく考えなくても、やたらとエストニア国旗を振り回している人が多いのも、そういうことかと思った。
日本人のわたしからすると、国旗を掲げまくってたり、国家歌って泣いてるとか、ちょっと異様な光景だったけど、エストニア人からしたら、独立国家であること・誰にも占領されていない状況は当たり前のことじゃないんだなと改めて感じた。
「自分たちで未来を決めなければ、他の者に決められてしまう」
エストニアの電子化も、“独立したばかりの国家が生き残るための取り組み”という文脈で捉えられるよねと思う。
(いやよく言われてることですが…まるで「わたしが見つけました!」みたいな言い方してごめんなさい)
それを象徴するな、と思ったのが、エストニア大統領Kersti Kaljulaidさんが、再独立記念の他のイベントで話していた
“If we do not shape our own future, it will be done for us“
って言葉。
「自分たちで未来を築かなければ、それは他の者によって築かれてしまう」
“誰”がエストニア人の代わりにエストニアの未来を決めてしまうのかは明言されていないけど、ロシアだってことは誰でも分かる。
エストニアの電子化も、独立国家にやっとなれたエストニアがその独立を守り続けるための行動に見える。
そして、この歌のイベントはこの独立状態を改めて感謝する、というか、改めてその意味を確かめるみたいな意味を感じた。
エストニアに旅行だけで行ったときはそこまで感じなかったけれど、やっぱりまだまだ独立という状態を当たり前のこととして無視できる(?)というか気にしないでいられる状態ではないんだな、と。
「この独立を守らなくては」という意識がまだまだ根強いんだと感じました。
「なんとなく歌のイベントあるらしいから行こう〜!」ってノリで行ったから、こんなことを考えることになるとは思わなかった。行って良かったです。
100分間のエストニア国歌祭りのあとも、夜中12時までコンサートは続きました。私は10時で帰ったけど。その後は、メタルバンドとかが演奏してて、「じいばあさんたち大丈夫なのか?」と思ったりした。
これはメタルバンドじゃ無いけど、ポップな曲もやってたよ。この曲好きでした!!