夏休みは、ロシアへ遺跡を掘りに行き、かと思えば、週末はインドネシア音楽を奏でる…そんな友達Kちゃんにインタビューしました。
大学生・大学院時代は、ウズベキスタン・トルクメニスタンをはじめとする中央アジア美術の魅力に取り憑かれ、ロシアの大学の遺跡発掘プログラムにまで参加していたKちゃん。
しかし、大学院卒業後に選択した進路は、美術関係ではない、意外なものでした。
今回は、Kちゃんの中央アジア美術への愛、大学院での葛藤、そして就職の話を書いていきます。不思議な魅力溢れる、中央アジアおよびKちゃんをお楽しみください。
👩🏻💻プロフィール
- 名前:Kちゃん
- 経歴:大学院で美術史学研究室を卒業後、専門出版社に就職。企画・編集を行う。
- 趣味・興味:中央アジア美術、インドネシア民俗音楽、1960年代〜90年代のイギリス音楽、関ジャニ∞(安田さん担)、釣り
ソ連時代に、農林水産省からロシアに留学していたおじいちゃん
– Kちゃんのこと聞く前に、まず一番気になることがあって、それはKちゃんのおじいちゃんがソ連時代のロシアで撮ったという写真。おじいちゃん、ロシアにいたの?
おじいちゃんは農林水産省で技術職として働いてたんだけど、世界のいろんな国に行って土の研究をしたり、農業を教えたりしてたのね。
旧ソ連地域に行ってたのも、その一環で。
他にも、パプアニューギニアとかにも行ってたらしいんだけど、おじいちゃん曰く、「パプアニューギニアに稲作を広めたのは、俺」って。真偽は定かじゃ無いけど。
– 旧ソ連を選んで行ってたわけじゃないんだ?
おじいちゃんは、戦前、陸軍士官学校にいたんだけど、『そろそろソ連が参戦してくるらしいから、ロシア語ができる人材がいた方がいい』ってことで、半ば強制的にロシア語を学ぶことになったみたい。
で、農林水産省で「ロシア語をやっていました」って言ったら、ソ連系の国に派遣されることになったみたい。省庁のプログラムで、モスクワ大学にも短期留学してたらしい。
トルクメニスタンで落ちた恋ー中央アジア美術の何にそんなに惹かれる?
– Kちゃん自身が中央アジア・旧ソ連に興味を持ったのは何で?
一番大きかったのは、大学2年生のゼミで行ったトルクメニスタン。
その海外研修は、本当は国際政治の授業がメインだったんだけど、私はそこで行ったトルクメニスタンの博物館で、『これだ…!』ってなった。
中央アジア美術と言っても、だいたい、紀元前2世紀~紀元後8世紀くらいまでが好きなんだけど、ギリシャ・ローマの美術品かと思うようなものが中央アジアから出土してくるのが面白いんだよね。
– 好きな時代ってのがあるのね。
そうなの。イスラーム教が入ってくると、また違うんだけど、この期間は、なんかパッと見『中央アジア』って言われて想像しないようなものが、色々出てくる。
例えば、ギリシャ・ローマ系の技術で作られた女神像が中央アジアの田舎で突然出土したりする。でもそれもよく見ると、ギリシャの女神ではなくて、中央アジア現地の神様を表してたり。
あとは、仏教、ネストリウス派キリスト教、ゾロアスター教関連のものも出てきたりして、いろんなものがごちゃ混ぜになっているところが面白い。
ウズベキスタンで見た、札束を抱えて平然と歩く市民たち
でも、中央アジア美術にハマった理由と、中央アジアという地域自体を好きになった理由はちょっと違うんだよね。
– おお、中央アジア自体を好きになったのは何で?
ヨーロッパに行っても、「日本と違うな」って思うことはたくさんあるけど、ウズベキスタンとかトルクメニスタンは、あまりにも違いすぎて、「みんなどういう感覚で生活してるんだろう?」ってすごく気になった。
例えば、わたしが行った時、ウズベキスタンはものすごいインフレで、日常の経済感覚に対して、紙幣一枚の価値が低すぎて、みんな普通に札束を持って歩いてた。道端に、トートバックに札束を詰めて売り歩いてる両替商人がいるんだけど、その人に両替してもらって。
あと、ウズベキスタンには、政府公式レートと、裏レート(一般市民レート)があったんだけど、それも2倍くらい違う。
わたしも、現地の人を見習って、道の両替商人に両替してもらったんだけど、宿の人も、お土産やさんも、当然のように裏レートを使ってたよ。
でも、実は3、4年前くらいに、裏レート・公式レートの区別が無くなって、裏レートが公式になった。政府の公式レートは、すでに有名無実化してたらしい。
– 裏レートが公式に…?
さっき言ってた「(トルクメニスタンやウズベキスタンの人たちは)何考えて生きてるんだろう?」っていうのは、どういうこと?
例えば、携帯電話を道の知らない人に借りて使うとか。
おばあさんが、砂漠の途中で、知らない人の車にヒッチハイクして、買い物から帰ってきたりとか。
– お互いの手を借りながら生活するのが当たり前な感じなのかな。
そうかも!
あとは、失礼かもしれないけど、中央アジアでステータスがあるものとか最先端とされているものが、すごい絶妙に不思議なセンスというか…。
トルクメニスタンで、遊園地に行ったら、映画館があったんだけど、その謳い文句に『6D』って書いてあって。「トルクメニスタンだけ、3Dを越えて、もはや6Dまで行ってるんだ…」って。
あとは、トルクメニスタンって、大統領独裁の色が強い国なんだけど、初代大統領が自分を記念する巨大モニュメントを街中に作りまくってて。で、その中でも、モニュメントが常に太陽の方角を向くように、台座が自動でくるくる回転するデザインになってるのとかもあって、すごいセンスだなと思う。
独裁の国・トルクメニスタンで、貴重な体験
– トルクメニスタンが独裁の国だとは知らなかった。
私2回トルクメニスタンに行ってるんだけど、1回目は常にガイドの人が監視しているっていう感じだったよ。その見張りのおじさんも同じ宿に泊まって、行くところもすでに指定されてた。
トルクメニスタンは基本的に個人旅行が難しい国で、ビザ取る時に、『この旅行会社に頼んでいます』っていうのを言わないといけない。
– 2回目は違ったの?
2回目は、かなり特殊。トルクメニスタンで、日本の会社の天然ガスプラント建設を記念する式典があったんだけど、それに出席する日本のお偉いさん達のために、日本から直行便を出すことになったのね。でも、そのフライトの席が結構余ってるから、在日本トルクメニスタン大使館が「トルクメニスタンに興味のある物好きな日本人をついでに乗せよう」って企画して、それを大学の先生が見つけて、私を含め中央アジア好きな学生達に一斉メールしてきたの。
– そんなことってあるんだ!
基本式典に行く人のために組まれた旅程だから、2泊3日だけでかなり弾丸だった。
日本からトルクメニスタンに直行便が出るのは初めてのことで、トルクメニスタン航空が日本に来るのも初で、その日は成田空港にカメラ小僧が結構来てたらしい。「珍しい飛行機がきてるぞ」って。
– 日本の会社のお偉いさん達と一緒に観光したの?
それは微妙に分けられてて、私たちは、式典には参加せず、現地の学生ガイドさん達がひたすら連れ回して遊んでくれた感じだった。だから、1回目と比べると、監視されてる感は少なかったかな。今はどうなっているかわからないけど、当時は現地のツアー会社と一緒じゃないと旅行できなかったから、それ無しでっていうのはかなり珍しい経験だと思う。
夏休み🌻ロシアの遺跡発掘プログラムに参加
– ロシアの遺跡発掘プログラムには、いつ参加したの?
大学院1年生の春。
このまま勉強を続けても、この分野(中央アジア美術・考古学)だと日本で働けるところもあんまり無いだろうから、海外の大学院はどういう感じなのか気になっていて。
考古学は、修復とか発掘とかに基本人手が必要だから、夏休みとかになると、遺跡発掘プログラムみたいなのが結構あるんだよね。そういうのをネットで探してたら、ロシアの大学院のコースを見つけて。
– でもなんでロシア?
そのときはイランのことを勉強してたんだけど、なぜかロシアで6世紀〜7世紀のイランの美術品が出てくるのね。
イランはロシアから毛皮とか木材を買って、代わりに金属製品とか布を輸出してたんじゃないかって言われてるんだけど、イランの後の時代の政権が、貴重な金属製品とかも溶かして加工しちゃったりして、イラン自体にあんまり物が残っていない。
ところが、ロシアでは、イランの金属製品が珍しかったせいか、それを祀ったり、シャーマンが飾ったりして、残ってる。
あと、イランの布も、ロシアの方が気温が低いから、たまたま残りやすかったみたい。よくウラル山脈あたりで出土してる。
– プログラムはどうだった?
遺跡発掘って言っても、授業と研究発表がメインだったんだけど、授業はロシア語だったから、まあ大変だった笑…。
でも、考古学の専門用語みたいなのは、聞けばわかるのもあったかな。
参加してる学生は、私みたいな外国人の学生が3分の1、残りの3分の2はロシア国籍の学生だった。
そのプログラムは実はタタルスタンのボルガルっていう場所で行われたんだけど、ロシア国籍の学生の中にはタタルスタン自治共和国の人もいて、パスポートにはロシアページとタタルスタンページどちらもあった。
– Kちゃんは何を発表したの?
卒論のテーマと同じ、中国にある中央アジア系の人たちのお墓について発表した。
最近、中国で宅地開発が進む中で、古い遺跡が結構出てくるんだけど、その中には、中央アジアにルーツを持つ人たちのお墓があるってことがわかってきてて。
埋葬方法は中国方式なんだけど、お墓の模様が明らかに普通の中国のものとは違ってたりするんだよね。中国なのに、なぜかラクダの絵があったり、ゾロアスター教を思わせるような火の絵が描いてあったり。
ナイフで頭を傷つけている人の絵が描いてあるんだけど、これも中国の文献には、「西の野蛮人がやっている」風習って書いてあるから、中国人のお墓ではないだろう、と。
中国にはお墓にその死んだ人の一生を詳しく記述する文化があるんだけど、その記述から見ても、中央アジアにルーツのある人だっていうのがわかったりもする。
あとは苗字からもわかるかな。例えば、安禄山っているけど、この「安」っていう苗字も、中央アジア出身の人の中国風苗字であることが多い。
「就職することを隠してた」
– 気になるのは、なんで考古学・美術系の道に進まなかったのかっていうところなんだけど…
中央アジアのことを勉強したかったんだけど、研究として今そんなに盛り上がっていないっていうのを大学・大学院通じてすごく感じて。まあそれでも自分が好きだったらやればいいんだけど、私にはちょっと辛かった。
大学院の指導教官の先生もいい人だったんだけど、先生の分野は14世紀とかで、イスラーム文化になった後の時代だから、先生も私を助けたいけど助けられない…って感じで。
だから、就活もしてたんだけど、「研究者になってなんぼ」みたいな雰囲気がすごいから、周りに言えなくて。
今考えたら言ってもいいんだけど、先生達はみんな博士課程に進むもんだと思って指導してるから、就活してるって言ったら、研究の熱意が無いやつだって思われたりしたら嫌だなって思った。
だから、就活スーツ着てる日はなるべく大学の側に寄り付かないようにしてた。一回だけコンビニで研究室の事務の人に会ってすごいビビったこともある…。
– 確かに、博士課程に進んで当たり前!みたいな雰囲気だったら言いづらいかもね。
そう、なんか就活してることに謎の罪悪感を感じてしまってた。結局、研究室にいた5人中、博士課程に進んだのは2人だったんだけど、私以外に就活してた人も大学内ではみんな黙ってたからね。
ちなみに一緒にギリシャにも行ったNちゃん(※)は、博士課程に進んで、今はイタリアのピサの斜塔の近くで、古代ポンペイの壁画の研究をしているらしいよ。
– ピサの斜塔の近くでポンペイの研究…。いつか会いに行きたいね。
※KちゃんとNちゃんの大学院卒業旅行に、部外者の私もエストニアから参加。
ちなみにその時に書いた記事もよかったら↓
平日は出版社で本作り。週末はインドネシア音楽を。
– 勤めてる出版社ではどんなことしてるの?
公務員の人とか小学校の先生向けの本を作ってる。
この前自分が企画した本が初めて出版された!
市役所には債権管理・徴収っていう、税金を滞納している人の税金を回収する部署があるんだけど、そこに勤めてる人に向けた本。
– おめでとう!初めての本が債権回収って、ディープだね..?
債権回収ってかなり大変な仕事だけど、市役所入ったばかりの若い男性が配属されることもあるみたい。知識も大事だけど、それ以上に体力の要る仕事だから。だから、そういう若手の人に向けて作った本。
– 出版社で働いてて、やりがいを感じるのはいつ?
とにかく反応があることかな。読んでくれる人がいることもそうだし、著者の人に企画を持ちかけたら、「お役に立てるならやりたいです」って言ってくれる時も嬉しいし、社内の人も、「いい企画だから進めよう」って言ってくれるのも嬉しい。
大学院の時の研究と比べると、ますますそう思うかも…。指導教官の先生も私自身も、研究しながら、ゴールが見えない感じがしてたからね。
– 仕事以外では、インドネシアの民俗音楽を習ったりしてるよね。インドネシア音楽ができるところなんてどうやって見つけたの?
昔からインドネシア音楽とかアジアの民俗音楽には興味があって、それはもともと60年代ー90年代のイギリス音楽が好きなんだけど、ビートルズをはじめとして結構アジアのサウンドを取り入れたりしてるんだよね。
ドラッグとか、ヒッピーとか瞑想も流行ってたし、トランス状態になるっていうのも流行ってて、実際に、イギリスのバンドがインドに行って楽器習ったりとかもしてて。
で、そこからアジアの民俗音楽面白いなって思って、聴いたりするようになったんだけど、たまたま今働いてる会社の先輩がインドネシアの民俗音楽を10年以上やっててCDも出してることを知ったのね。
で、速攻で話しかけに行ったら、インドネシアの音楽教室を紹介してもらって、初心者クラスに通いだした。
– どういう楽器をやってるの?
私が習ってるのは、インドネシアの中でもバリ島のガムランなんだけど、基本は鉄琴みたいな楽器をやってるよ。たまに、銅鑼(ゴング)をやることもあるかな。
面白いのは、ガムランは、楽譜通りに覚えて演奏するっていう考え方ではなくて、基本耳コピなのね。
「耳コピができない人はどうするんだろう?」って思ったら、できない人は、その人ができるパートだけやればいいっていう方針なの。
例えば10人弾く人がいたら、2人上手な人がいれば、全体的に見たら弾けてるからOK!っていう。
– え、なんかそれは新鮮だね。
通ってる教室では一応できない人はできないところを何度も練習するけど、現地というか本場では、そういう感じみたい。
毎年、都内の公園で発表会もしてるけど、今年はコロナでオンライン開催だったよ。
– いつかKちゃんのガムラン聴きたいわ!
Kちゃんは中高6年間を共に過ごした仲なのですが(2人とも遅刻しがちだったので、よく坂道を走っていた思ひで…)、このインタビューで初めて知ったこともたくさんあり、色んなおもしろいことを、こともなげにやってるのがKちゃんの魅力の一つだなと思いました。
突然インタビューしたいと言って受けてくれてありがとう。
記事をアップするまでに永遠と思える時間がかかってごめん。
中央アジアやイランの古代美術のことはほぼ何も知らなかったので、Kちゃんの授業を受けているようで楽しかったです。
たまたま知り合ったカザフスタン人の同僚(出会いは、下ツイート参照)に、「私の日本人の友達で、中央アジアの古代美術が好きな子がいるんだよ!」と自慢したりもしました。
今日会社のキッチンで、アジア系っぽい人いて、お互いじーーっと見てたんだけど(アジア系少数国でありがち)、もしかして日本の人かな?と思って聞いたら、カザフスタンの人だった🇰🇿
日本人かな〜と思ったら、カザフスタンとかアルメニアの人だってことたまにある🐧
— ゆ🥦 (@EstonianMania) July 17, 2021
これからも日本に帰るたびに会ってKちゃんの秘めた情熱話を聞きたいです。あと、またバトミントンしよう(私信)。
Kちゃんのように、おもしろいと思ったことを進んでやっていく人に、憧れと尊敬の気持ちが湧きます。おもしろそうと思っても、重い腰が上がらなくて…。
皆さんも、何かやってみたいけどまだやれてないことありますか?わたしは運動と陶芸です。<完>