エストニアの、人がいない贅沢

エストニアで生きてる日記

激混みの下北沢のタリーズにいます。

本当は下高井戸のコロラドに行こうと思っていたのに、下北沢に来たのには理由があって、それは「若いうちにいろんな人がいる混沌としたところに行った方がいい」という福沢諭吉の本の一節に影響されてしまったから。

福沢諭吉は、地元の田舎が本当に嫌だったそうで、すぐに都会に出てきたらしいです。それを受けて、斎藤孝は、「若いうちは田舎で自然に囲まれて癒されてる必要なんてない、都会に出ていろんな人に会って揉まれろ」 という趣旨のことを書いてます。

光文社新書 座右の諭吉―才能より決断
『福翁自伝』には、福沢の人生訓や、転機からチャンスをつかんだときのエピソード、いわゆる「生きる指針」が詰まっている。本書ではその『福翁自伝』をはじめ、彼のいくつかの著書をテキストとして、私たちがいま福沢の生き方から何を学べるかをクリアにしていく。

そんなことを思い出して、なんか下高井戸でまったり主婦の集まりや一人でケーキを食べているサラリーマン風のおじさんに囲まれてゆったりしてる場合じゃないんじゃないか、とか思ってしまったんですよね。

それで若者を求めて、下北沢へ来たわけですが、どこも混みすぎてる。

記事の元タイトルは、「福沢諭吉の自己啓発本のせいで、若者に会うために下北へ。」にしてたんですが、なんか無駄に攻撃的かなと思ってやめました。

最初に入った珈琲館もコメダも、座れなくて待っている人が何人もいて、断念。

三件目のタリーズでなんとか空席を見つけたんですが、一人一人のスペース、マジで狭い。体感、横幅で50cmくらい。

まあでも、賑わってる街を見る楽しさはあるかもしれません。わーいろんな人いるなあってちょっと駅前を1分歩いただけでも思いました。

 

それで思うのが、エストニアの人のいなささという贅沢。

いなすぎて、店が閉まっちゃう時もあるんだけど。

大体タリンなんて首都なのに、どのカフェも満席とかはあり得ない。75%くらい席が埋まってると、「今日はやたら混んでんなあ」と思う。

もしかしたらそれは、圧倒的な人口差以外に、物価の差もあるのかもしれません。日本の方が、物価が安いからカフェに行きやすいのかも?

まあそんな理由は置いといて、エストニアの人のいなさがこんな時は恋しいです。

お金を積めば、東京でも手に入るかと思いきや、そうでもない気がします。ルノワールとか高いからお客さんの数は少ないけど、やっぱり各テーブルは狭いし。

まあ積むお金も私には無いので、知ってる範囲が狭いだけなのかもしれないですね。

 

カウンセラーに勧められて昔読んだ「Quiet: The Power of Introverts in a World That Can’t Stop Talking 」(邦題:内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力)に書いてあったのですが、内向型の人は周りの音とかに敏感でそれがストレスになる傾向も強いらしいです。

これは、赤ちゃんの頃からある、というのも面白かったです。ちょっとしたことですぐにビビって泣くのは、内向型の子が多いとか。私は、赤ちゃんの頃はむしろ常にニンマリしてるような(この本の基準で言えば)外向型だったはずなんですけどね。

話がそれてますが、エストニアの人のいなささ・静けさは、内向型の人間にはぴったりの贅沢だと思います。

出張で1週間行くことがあったロンドンであまりにも周りが近い・うるさくて、早くエストニアに帰りたい!と思った時もありました。

 

そう言えば、この本は、会社でチームリードになった後に、どうやって人を率いたらいいかわからないと相談した時にカウンセラーが勧めてきたんですが、「リーダーは別にたくさん喋れる人である必要はない、静かなリーダーにもその人なりの率い方がある、むしろ人に話す余地を与えるから良い」みたいなことが書いてありました。

あとは、「必要な時は、『私は[あてはまる役職]という役を演じてるんだ』と思うと良い」とかも書いてありました。

数年前に読んだので記憶があやふやですが、その時はこれを読んで励まされるところもあったので、うまく話せないとかで悩んでいる人がいたら読んでみたらいいと思います。

 

エストニアだとみんな静かだからそんな問題ないんじゃ…って感じもしますけどね。著者はアメリカ人なので、アメリカの方が静か・シャイな人は大変そうだなと思いました。

 

今日のまとめ:音に敏感な人はエストニアに引っ越そう!

 

でもそんなこと言って、東京もかなり好きです。

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