イタリア旅行記

イタリア旅行

Bongiorno!🌞

誰にも頼まれてないのに、ずっと書かなきゃ書かなきゃと自分にプレッシャーをかけ続けていたイタリア旅行記をやっと書きたいと思います。

ヘミングウェイはパリでミシガンの話を書いて、南米でパリの話を書いていたそうな。

その場にいないから書きたくなる、もしくは書きやすくなるみたいな現象って確かにあるのかもしれません。

今夏至祭の週末で、タリンは空っぽです。(アップロードしている今日はもう7月だけど、これ書いてた時は夏至祭でした)

そんな中で、一人で辺鄙なビーチに来たのですが、私以外に、ヒジャブを着た女性たちとカジュアルな服装の男性たちがいます。何の言葉を話してるのかな。

夏至祭の週末だからこそ、外国人である我々の方がタリンに残っているのかも。エストニア人たちはきっとまだカントリーハウスにいるのだろう。

イタリアには4月末から5月始めまで、2週間滞在していました。

ローマ→フィレンツェ→サンジミニャーノ→ポンペイです。

1. 都会だねローマ

ローマは行った中でやっぱり一番都会でした。というか、思っていたよりも小さい街が多いのかな。フィレンツェもタリンより人口が少なくてびっくりしました。人口的には小さいけど文化的に豊かな場所が点在しているのがイタリアなのでしょうか(初めてのイタリアなので、適当なことを言っています)。

ローマで良かったのは、夜の観光。

日中は暑くて暑くて、何もできず。と言っても、25度くらいだったのですが、エストニアでの5年間が私の暑さへの耐性を完全に弱めたようです。

どのくらいやばかったかというと、暑すぎて意識が朦朧として、コロッセオの近くのカフェでお皿を割ってしまったくらいです。人生初めてお店で何かを割りました。

broken-plate

(店員さんに言ったら、あーOKOKって軽く許してくれた)

ただ夜は涼しい

流石の観光大国。夜も人がそこいら中にいます。でも、だからか、一人でもあんまり怖い感じはしませんでした。そして警察官もたくさんいました。

トレビの泉とかナヴォーナ広場とか、そこら辺にある観光地をてくてく歩きました。これ書いてて改めて思ったのですが、ほぼ何も知らないまま私はイタリアに行ったんですね。

piazza-aavona

ナヴォーナ広場。なんかふとキーウを彷彿としました。でかいから?

Fontana-di-Trevi

トレビの泉。水があるから、涼しかった〜!

あと、名前がわからないのですが、途中で寄った教会が夜にもかかわらず開いていて!

夜の教会は、すごく幻想的·非日常的でよかったです。

ローマに限らず、今回のイタリア旅全てに言えることなのですが、私はイタリアの人気を舐めていました。バチカン美術館(ローマ)もダビデ像(フィレンツェ)も、何も行けませんでした。オンライン予約はずっと前からsold outだし、当日券は、途方も暮れるくらい行列になってるし。計画性もなければ、行列に並ぶ気力もない私には、難しかったです。

せっかくバチカン近くのホテルをとったのに👼

でも、バチカンに出入りする人たちを見ることができて面白かったです。超暑いのにビシッとスーツを着た男性たちが出入りしていたり。あとは圧倒的シスター(修道女)の数。あんなにシスターを普通の街(普通じゃないけど)で見たのは初めてかもしれません。あとたまたま話しかけた人が、バチカンの研究者だったのも面白かったです。

また行きたいなあ~。ただ気軽に行くには躊躇するくらい、ローマはホテルがバカ高かったです。(3泊で、エストニアの1ヶ月の家賃以上払った)

2. 奇跡の再会&日本人会 inフィレンツェ

ローマからフィレンツェは電車で移動したんですが、4時間遅延しました。

遅延している時間が電光掲示板に表示されるのですが、それが50分→100分→120分とどんどん伸びていって、最終的に240分。

train

「Retardo / Delay 240」の文字が見えますか…!

これをウィーンで働くイタリア人の友達にメッセージしたら、Welcome to Italy!と言われました。あと、ロンドンにいるイタリア人上司も、that’s Italyと。

でも240分の遅延以上に「解せぬ…」と思ったのは、240分きっかりで発車するわけでもなくて、それより少し前に発車していたこと。あの時、どこかにトイレとか行ってなくてよかった…。発車した瞬間、車内の人たちは拍手していました👏👏👏

しかしどうやら、ここまで遅れるのはイタリアでも珍しいみたいです。フィレンツェの宿のオーナーは、「遅延のことニュースで見たよ、大変だったね〜」と言っていました。

あと、意外にも(?)そんなにイタリアの交通事情は悪い感じしませんでした。バスも電車も遅れるけど、全く来ないわけではないし。

サンジミニャーノで出会ったドイツ人のおじさまは、「ドイツと比べると、イタリアの公共交通機関はすごくpunctual(時間に正しい)」と言っていましたよ。

話がそれましたが、そうこうしてたどり着いたフィレンツェで、奇跡が起きました。

まじでこれは大袈裟じゃなく、奇跡。

着いた日の夕方、フィレンツェの街を歩いていたら、見覚えのある顔が。

「かぶさん!!!!!」

201810月にウクライナに1ヶ月滞在していた時に知り合った日本人のかぶさんが、そこにいました。

airbnb-kiev

時期は違うけど、キーウの同じAirbnbに泊まったことがあって、そのオーナー経由でかぶさんと知り合いました。これは、そのAirbnbでオーナーとその娘さんと一緒に折り紙折った時の写真。

かぶさんが私を覚えているか自信なかったですが、覚えていてくれました。

話を聞くと、かぶさんもその日にフィレンツェに来たばかりで、その2日後にはルーマニアに帰るそう。(かぶさんはウクライナからルーマニアへ移り、医学部で勉強している👩‍⚕️)

その翌日に、カフェで集まりました。

origami-cafe

フィレンツェのカフェでかぶさんと話しながら、ナプキンで鶴を折る

そして、その夜には、即席日本人会を開きました。

参加者は、私、かぶさん、私の大学の友達でピサで研究をしているなっちゃん、かぶさんのお友達でミラノの医学部生のまことさん。

しかも、集まったレストランの名前がイタリア語の玉葱なのですが、「玉葱」と書かれた習字が飾ってありました。なぜか2枚。

onion

誰が書いたんだろう🧅

お会計の時に私の友達がイタリア語で話し始めたら、店員さんが超フレンドリー&スマイリーになっていました。

この即席日本人会、みんな場所や、やっていることは違うけど、それぞれの人生を生きている…!という大雑把な感想を抱きました。

フィレンツェでは他にも、偶然、日本人の人と会うことが多かったです。靴職人学校にこれから通おうとしている方や、カフェでバリスタとして働いている方、道端で似顔絵を描いたり他の作品を売っている方など。イタリアらしさある感じ🇮🇹

私の友達はピサに日帰りなので、残りの3人で別のバーに移動。拡声器を持った酔っ払いの若者や、ちょっと怪しげなおじさんがフラフラ歩いていましたが、びびっていたのは私だけでした。

3. 画家道子さんとの出会いサンジミニャーノ

サンジミニャーノは、トスカーナ地方の小さな観光地。

フィレンツェから電車とバスを乗り継いで行くつもりが、先述した日本人のアーティストの方に似顔絵を描いてもらったりしていたら、乗る予定の電車に間に合わず、バスを2本乗り継いで到着。一人だと色々融通きくからいいですね。て、いつも一人だけど。

サンジミニャーノでの思い出は、イタリア系アメリカ人の人とぶらっと観光をしたこと(アメリカ人観光客が多いのは、そういうルーツを見に来るみたいな人も多いからかな?)もありますが、何より、道子さんと知り合えたこと!

詳しくは、前の記事に書いたので、読んで欲しいのですが、道子さんはテンペラ画という古典的な画法で、日本(特に宮崎)の神話をモチーフに絵を描かれています。

ツナ缶をもらいにやってくるマリブーとともに

たまたま寄り道した小道で、「着物を着ている人がいる」と気になって話しかけたのが、道子さんでした。

普段マーケティング、CVR、KPI、YoY/MoM growth、strategyみたいな世界にいて、それに嫌気がさしているところもあるからなのか、上手く言えないけど、道子さんのお話にグッと惹かれるものがありました。

今回の旅行で出会った人たちみんなインタビューして記事を書きたいくらい、どの人生も興味深い。

real-marco

あの猫写真家の岩合さんにも撮影されたことのある、マルコ

michikosan-art

エストニアの部屋に飾っている道子さんの絵。見るたびに嬉しい🐈

ukrainian-flag

イタリア旅行でウクライナ国旗を見ることはあんまりなかったけど、サンジミニャーノにはあった。エストニアとはやっぱり関心度が違うか

4. 歩道がないぞポンペイ。サレルノから友達が来てくれた!

最後は、ポンペイ。悪い意味で印象に残っているのは、とにかく車がないと生きていけないことです。歩道がないんだもん。

しかも、雨降っていたので、一人で傘さして犬のうんこを避けながらトボトボ歩いていたら、車からバシャって水が飛んでくるし、散々でした。

なるべく外出しないように、宿のベッドでYouTube見て過ごす。

もちろん、古のポンペイにも行きました!パン屋、クリーニング屋、風俗店、公衆浴場、色々残っていました。

壁画があまりにも綺麗に残っていて、その隣にいた職員の人に「これレプリカですか?」と聞いたくらい。でもピサで研究する先述の友達によると、最近修復して昔より色鮮やかになったらしい。(もしかしてやりすぎた?)

pompei

これが2000年以上も前とは思えない綺麗さ

pompei-art

この壁画を描いたアーティストはちゃんと生活できていたのかなと気になって聞いたら、「当時のポンペイはエジプト等との貿易で栄えていたから、壁画のオーナーはたいてい貿易商人で、アーティストにもちゃんといいお金を支払っていたはず」と職員の方が親切に解説してくれました。

今は、アーティストとして生計を立てるのは難しいみたいなイメージがあるけど、昔はどうだったんでしょうか。

ところかわって、エストニアで、アート関連の仕事をしてきたリトアニア人の子と話した時に、「アートはお金になっているのに、それがアーティストに回ってこない仕組みがおかしい」というようなことを彼女は言っていました。日本の瀬戸内国際芸術祭にも一時期関わっていたとか。昔から興味はあったけど、イタリア旅行を経てますますこういうアート業界への関心が高まりました。自分でやるっていうより、その中がどうなっているんだ?っていう関心。

ポンペイのもう一つのハイライトは、サレルノから友達がやってきてくれたこと!この友達は、ウィーンで普段働いていて、同じ時期にイタリアに里帰りしていた(サレルノ出身)ので、会うことに。

もちろんこの友達はサレルノからポンペイまで車で来たのですが、私が「車なしでここでどう過ごせているのか想像がつかない」と言われました。駅に行く時とかは、宿のオーナー夫婦が親切に車出してくれていました。

ウィーンで会ったのが1年前くらいだったのですが、久しぶりの再会にも関わらず、ポンペイのカフェで、ほぼ下ネタの会話をずっとしました。

(7割下ネタだけど、3割こういうことも言う↓)

そういえば、このカフェでルイボスティーを頼んだのですが、エスプレッソを頼む人が多いからか、ウェイターの人が、「そんなメニューあるっけ?」という感じでした。

あと、私の友達が充電1%という限界携帯とともにポンペイに来たので、カフェやレストランで、「充電器ありませんか?」と聞きまくっていたのですが、誰もiPhoneの充電器を持っていなくて、私が「そんなにみんなない事あるかね?」と言ったら、「ここの人たち(ナポリ·サレルノあたりの地域のこと)は情に厚いから、正直に助けようとしてくれるはずだ」と友達が言っていました。

結局見つからなかったので1%でなんとか無事サレルノまで帰ったようです。22時くらいからおばあちゃんたちと家族ディナーしていたとか。遅。

 

これでやっと書き終えた!!!!!!

旅行前はいつも不安になるし、旅行中も常に楽しいというわけではなくて、アチいな~、車うざいな~とか疲れた~とか負の感情も満載ですが、旅行から帰ってくるとなんか大半がいい思い出になりますね。

Ciao🌛

 

前回の記事もぜひ読んでください!

estonian-mania.tokyo

Copied title and URL