元がん看護師が、 エストニアでゲームを作る

Youは何しにエストニアへ?

こんにちは。

エストニアには「日本から来たちょっと変わった経歴の人」がたくさんいるけれど、その中でも Akemiは群を抜いて異色だ。

東大文系から医学部に進み、がん病院で看護師に。その後、エストニアに留学し、なぜか大学院でゲームを学ぶコースに…

今年の3月末にタリンのKopliエリアのレストランとカフェを梯子して、3時間近く話したら大インタビューになってしまいましたが、それをほぼ8ヶ月後の今、ギュギュギュと短くしたのがこちらになります。

「ゲームがそんなに好きじゃない」のにゲームを学ぶ理由

Q. 今何してる?

今はタリン大学で修士課程の学生をしています。
“シリアスゲーム”の「意味のある(ミーニングフルな)使い方」について学ぶコースです。

ただ、私はゲームが好きな人ではないな。今も「暇なときにゲームする?」って聞かれたら、しない。
ゲームを通して「その人が何を学べるのか」「どんなことを経験できるのか」…そこにフォーカスがある。
たまたま、その手段がゲームだったって感じ。

Q. なるほど。じゃあ、そのゲームを通じて経験してほしいことって、具体的には何なの?

伝えたいメッセージは、「人生を最後までよりよく生きるにはどうしたらいいか」というテーマ。

今は自分でなんでもできるから、「良い人生とは?」って考える必要があまりないけど、年を取ったり、怪我や病気で誰かの助けが必要になると、“良い人生”は自分ひとりでは完結しない。

こういうメッセージってストレートに伝えづらいから、ゲームや本、映画みたいな体験を通して「こういう世界があるんだ」と気づいてもらえたらいいなと思う。

“寝たきりになる前の人生”を感じ取る

Q. それは実際の看護師の経験からきてる?

うん。看護師や介護士として患者さんや高齢者と関わる中で、「この状態はこの人にとって幸せなのかな?」って思う場面が本当に多かった

たとえどれだけ立派な人生でも、最後が寂しいものになってしまうこともある。

家族との関係が良くて、普段からいろんな話をしている人は、やっぱり最後まで尊重される。「リスペクト」がある。
でも医療者としては、患者さんの“過去”を知らないまま関わることが多くて、今の状態だけで判断されてしまうこともある。

寝たきりでも、その人には“人生”がある。どれだけ尊重できるのか、愛を持ってケアできるのか…。

Q. 具体的にどんなゲームを作っているの?知ってはいるんだけど(笑)

今はボードゲームを作っていて、プレイヤー同士が質問カードを選んで相手に聞き、答えてもらうとカード裏の「道」を繋げていく。全員でひとつの道を作っていくゲーム。

質問は3つのステージがあって、
1つ目は「子ども時代」、2つ目は「思春期から現在」、3つ目は「将来」。
その人の経験や価値観、“人生そのもの”にフォーカスするようにしている。

Q. そのゲームって、どこで遊んでもらう想定で進めてるの?

高齢者や、病気のある患者さん、その家族がメイン。
ちょっとレクリエーションで遊んだだけで、「この人のことをもっと深く知れたな」って思えたら、その“おまけ”だけで十分価値がある。

Q. 製品化するの?

したい!でも製品化まではすごく長い道のり。
ルールもビジュアルも改善したいし、外注、資金、印刷、パッケージ…考えることが多すぎて、ひとりでは難しいと思ってる。

Q. じゃあこの記事を広めて、ボードゲームデザイナーに届けようよ!英語でも出そうよ。
ありがたいマーケティングだ(笑)

 Q. …まあ、言ってるだけかもしれないけど(笑)

追記:なかなか記事にできず、本当に言ってるだけになりそうでした。汗

病院で感じた「これは誰のためのルールなんだろう?」

私が働いていたのは急性期のがん専門病院だったんだけど、病院の“当たり前”と、学生時代にアルバイトしていたデイサービスの“当たり前”が違っていて、そのギャップにずっとモヤモヤしてた。

病院では、「患者さんの安全が第一」。
ふらつきがある人には、必ず看護師が付き添ってトイレに行く。
本当に危ないときには、トイレの中まで入り、排泄しているところを見ることもある。

それは、「転倒して骨折して、本来受けられる治療が受けられなくなる」ことを防ぐためには、とても大事。

でも、もし本人が心の中で、

「トイレしているところを見られたくない」
「もっと自由がほしい」
「拘束されているみたいで嫌だ」

と感じていたとしたら、それはどうなんだろう、と。

一方で、デイサービスではそこまで徹底した「安全優先」のルールは少なくて、安全も大事だけど「本人の気持ち」も同じくらい考えよう、という空気があったのね。

「これは誰のための制限なんだろう?」
「本当に患者さんのためになっているのかな?」

そこにすごくジレンマがあった。

東大健康総合科学科→看護師

Q. 学部時代はどんなことを勉強していたの?

「健康総合科学科」という学部は、文系・理系関係なく入れる学部で、その中の「看護師の資格が取れるコース」に進んだ。

授業では、看護師国家試験のカリキュラムを満たす内容に加えて、公衆衛生や人類生態学なども学んだ。
「人と関わる仕事がしたい」と思っていた自分には、とてもおもしろい分野だった。

Q. 看護師は何年くらいやっていたの?

3年。

「看護師としてこの先もキャリアを続けていくイメージが湧かないな」と思ったのは、2年目くらい。
たぶん25歳くらい。

でもすぐには辞めなかった。
大きかったのは、

「3年続けてみることには意味があるかもしれない」

と思っていたから。

もし2年目の時点で、やりたいことがはっきりしていたら、もっと早く辞めていたかもしれない。
でも、具体的なプランもないまま辞めるのは不安だったし、「3年続けた」という数字が、どこかで自分を助けてくれるかもしれないと思っていた。

その間に少しずつ英語を勉強したり、平日の休みにボイストレーニングに通ったり、バイクの免許を取ったり、仕事とは別のコミュニティに顔を出してた。

Q. そもそも、どうやってエストニアにたどり着いたの?

最初は「医療×IT」でキャリアチェンジしたいと思って、海外の大学院を探し始めた。

最初に探したのは、アメリカ、イギリス、オーストラリアなどの英語圏。
でも見てみると、「物価、高っ」「英語試験のスコア、高っ」となって。

限られた貯金と準備期間では現実的じゃないな、と。

そのなかで、たまたま見つけたのが「エストニア」。
ワーキングホリデーでエストニアに来ている人のブログを偶然読んで、そこで初めて「エストニア」という国を知って。

「なんてマイナーで、おもしろそうな国なんだろう」と思って、大学を調べたら、今のゲーム系のコースを見つけた。

「今もし自分が死んだら、後悔ばっかりだな」

Q. 一緒にいて思うのは、“新しい道を開拓しに行く人”っていうイメージ。
それって、どこから来てると思う?

多分、自分のコアのひとつに、「人生は一回で、しかも一方通行」という思いがある。
未来の自分が、今と同じようにその選択をしたいと思うかどうかはわからない。

「今できること」に価値があると思ったら、多少のリスクがあっても、やってみたい。

新しいレストランに行ってみて「外れだったな」と思うこともあるけど、それはそれで、「ここは自分には合わない場所なんだと分かった」という経験になるから、あまり損したとは感じないかも。

Q. ゲーム開発も、エストニア語の勉強も、水泳も、“コツコツやる人”ってイメージがあるんだけど、それは昔から?

昔から、1つのことをコツコツ続けるのは好きだった。
水泳もそうだし、勉強もそうだし。

私は「集中する」のが得意で、何かを積み重ねていって、あるときふと「できるようになっている」感覚が、すごく好き。

今の私しか知らない人からすると、

「東大出て、海外の大学院にも来て、すごいですね」

と言われることもあるけど、最初から何でもできたわけではなくて、ただ、途中で諦めなかっただけだと思う。大学院で、英語もクラスで一番できなくて、周りからは「あの子多分授業の内容わかってないよね」って思われてたし、実際リアルタイムではわかってなかった。

だから、家帰って授業の録音聞いて、おおこんなこと言ってたのかと理解したり。

あとは、みんなが旧市街のバーで呑んだりしてる時も、一人で図書館行って勉強してた。

よさこいする以外、本当にずっと勉強してたよ。

Q. 昔の自分に、何かひと言かけるとしたら?
どの時期の自分を思い浮かべる?

看護師として働いていた頃の自分かな。
2年目くらいで、「今もし自分が死んだら、後悔ばっかりだな」と感じていた時期。

将来何をしたいかもよくわからなくて、目の前の仕事でいっぱいいっぱいだった。

その頃の自分に言うなら、「今はすごい踏ん張りどころだけど、ちゃんと28歳の私は生きてるから大丈夫。その経験は、ちゃんと未来の自分を助けてくれるから。」

と言いたい。

看護師として働いた3年間は、もう一度やりたいかと聞かれたら「ノー」だけど。
でも、必要な修行期間だったなと思うから。

私は「環境を変えた」ことが大きかった。

今は、あの頃とは全く違うことをしているし、関わる人も、求められることも、評価されるポイントも全部違う。

環境が変われば、見える景色も変わる――それは当たり前だけど、すごく大きいと思う。

もちろん、誰もが簡単に環境を変えられるわけじゃない。
だから一概に「環境を変えればいい」とは言えないけれど、「今やっていることが、3年後・5年後・10年後、自分にどう返ってくるかは誰にも分からない。でも、完全にムダになることはきっとない。」

そう信じられるかどうかは、大事だと思う。

—————————————————————————————————

側から見ていると、Akemiの継続力は本当に脱帽もの。

「みんな、私が2年でちゃんと卒業できるとは思ってなかったと思う」と言っていたけれど、今年の6月、無事修士課程を修了!

がん病院で抱えていたモヤモヤや問いを、「人生を語り合うボードゲーム」に昇華。
看護師としての3年間も、タリンでの学生生活も、全部つながっている。

うさぎと亀の寓話みたいに、コツコツ進むほうが最後に一番遠くまで行くのかも🐢


Akemiを見ていると、「今やっていることがいつかどこかで必ず自分を助けてくれる」という感覚を、少しだけ信じてみてもいいのかもしれない、と思わされます。