エストニアでGame Jam体験!日本語ペラペラのベラルーシ人講師との出会い

エストニアで生きてる日記

Game Jamに少しだけお邪魔してきた。Game Jamっていうのは、ゲーム開発者やクリエイターが短期間(基本的には48~72時間)でチームを組んでゲームを作るイベントのこと。今回のGame Jam、参加者はロシア語話者の人が結構多かった。聞こえてくるのは、ロシア語と英語。これは主催者によるのかもしれないけど、やっぱりエストニア、特にタリンってぱっと見みんな白人ではあるんだけど隠れた多様性のある場所だよなって改めて思った。

日本語ペラペラのベラルーシ人講師・ミハイル先生

今回印象に残ったのは、ベラルーシ人の講師の先生。なんと日本語ペラペラ。今までエストニアで会った日本語を話せる外国人の中で、たぶんトップ。英語ゼロ、日本語100で会話した。それだけ話せるのに、仕事では全然使ってないって言ってて、「なんでキープできるの?」って思った。普通にすごい。住んでるのはタルトゥらしい。パートナーが学芸員として働いててリモートワークできないから合わせてて、タリン大学には週1でタルトゥから通ってるらしい。素敵ですね。

 

歳を聞いたらまだ34歳。その歳で成功っていうか、自分の道がこれだって分かって、それを切り開いてるのがすごいと思った。でも話を聞いてると、それは「高校生の頃から色々やって、いっぱい失敗したから」だって言ってた。高校生の時から、お金が欲しいけど親はくれないから、どうやって稼げるか考えて、ベラルーシのテクノロジーメディアでのジャーナリストの仕事をしていたらしい。その当時はロシア語で書いてて、そうするとロシアまで市場が広がるからだと。でも、最近はベラルーシもベラルーシ語を話す人が増えてるって。

 

大学はベラルーシの外国語大学に進学し、翻訳・言語学で学士と修士を取得したけど、「やっぱり言語学じゃないな」と思ったらしい。そして修士の研究の一環として、初めて大阪に来日!そこで、趣味としてずっと続けてきたゲーム開発を、研究テーマとして扱おうと決めたそう。

 

修士号を取れるのはすでに確定していたから、その研究では日本人がゲームをどう捉えているのかを調査したらしい。

 

その調査がきっかけとなって、今度はゲーム開発についての博士課程をタリン大学で学ぶ。学士、修士、博士ととんとん拍子で取ってるようにも見えるけど、実はそうでもなくて、タリン大学に来る前にベラルーシでの奨学金の条件で2年国のために働くという制約があり、大学で嫌々ながらも通訳の講師をしていたらしい。

 

去年日本の日大で教えてた3ヶ月の間に、お母さんがベラルーシから来日して、10年ぶりくらいに再会したって言ってた。もうベラルーシには危険だから戻らないんだって。タリンと近いのにね。デモに参加したり、SNSで政府批判をしたりしてるから、戻ったら危険なんだとか。

 

やっぱり、早い時期からいろんなことを試したからこそ、自分の道を切り開けたんだなと思った。最初からゲームデザインの仕事をしていたわけじゃなく、いろいろ挑戦した結果たどり着いた道。結局のところ、やってみないと分からないよね。やってみないと、「もしかしたら向いてるかも…」って未練を引きずったままになるんだなって思う。

 

それで私が、「今30でやっとそういう試行錯誤してる」って話したら、「それでも良いじゃない!」って言ってくれた。「僕もずっとゲームデザインをやろうとは思ってないし、いつかまた試行錯誤する日が来ると思う。試行錯誤はいつしたって良い」と。確かにそうだなって思った。でもミハイルさんがもしまた試行錯誤したら、それは絶対うまくいくと思う。なぜなら、もう成功体験があって、変えても大丈夫、むしろ変えるからこそ新しい道が見つかるって、実感として分かってるから。

自分のことを振り返ってみる

自分のことを振り返ると、何か大きく自分の道を変えた経験ってないなって思う。運よく選んだ道が合ってたおかげもあるんだろうけど、同時に、変える勇気がなかったのかも。(追記:エストニアに来たことは大きく変えたことか。)

 

大学では北アメリカ研究をしてたけど、それとはあんまり関係なく大学メディアUmeeTで記事を書いて。それからAIの授業がきっかけでインターンしたけど、全然AIじゃなくてライター・インタビュアーの仕事で、それが結構楽しくて。この経験があったから、エストニアでほぼ最初の仕事(※)もSEOライティングからのマーケティングだった。向いてたと思うし、成果も今思うとすごく良かった。もっと給料くれてもよかったのに…

※本当の最初の仕事は2ヶ月で辞めてる

 

でもその仕事を5年半で辞めてから、お茶の販売とか陶器の輸入とか始めて、茶農家の方やとか陶芸家の方に会ったりしてるのはすごく楽しい。日本のいろんな地域に行って、ほぼバスが来ない場所にナビの使い方もおぼつかないタクシー運転手のタクシーに乗って山に登ったりとか。冒険みたいで楽しい。けど、ビジネスのセンスというか覚悟が無いのかなって思う。経済的には他のフリーランスの仕事がメインだから、お茶とか陶器に思い切って集中する覚悟がまだできてない。

 

でも、そういう時は無理に動かなくても良いのかもしれないなって思う。とりあえず、試行錯誤してるんだって気づけた日だった。その後、爆昼寝。

 

「院に行く」ということを、私が頭の中で勝手にものすごく難しいものにしてる可能性はある。修士を取ってる日本人の人たちに話を聞くと、とりあえず受けてみなよ!と割とカジュアルに勧めてくる。

 

過去の自分は頑張ってた気がするけど、今の自分はなんつーかもがきながら自分の今の状況を見ないように必死に無視してる感じがする。何したいのかもわからんし。

 

とりあえず最近また視力が落ちてきてて、パソコン見てるのも辛いし、目の健康のためにもパソコン使わない仕事したいなーとか思ってる。けど、やっぱり一人で黙々系の作業が向いてるぽい。この間、念願の家具修理ワークショップに行った初回で指怪我してるから。やっぱり危険な作業は無理ていうかやだと思っちゃった。めちゃくちゃ楽しかったけど怪我以外は…。

 

そしてやっぱりというか私が面白いと思う趣味って大抵40-60代の女性が面白いと思うものと被ってるんだなっていう確信を得たね。今までの趣味(=陶芸)もまさにそうだったから。あ、話がずれてきた…。でもてことは、ポジティブな見方すると、これから年を重ねていったら、自分が面白いと思うものと年齢がもっと合うようになっていい感じ(ざっくり)になるのかな。周りには友達や知り合いを増やすためにも、ボルダリングとかムエタイ行ったらとお薦めされるんだけど、やっぱり怪我しそうなスポーツ、力がいる系のスポーツは無理…今はプールをもっとやろうと思ってる。

とにかく終わらせることが大事(ブログもゲーム開発も)

このミハイル先生に会えたことは今日の収穫だったな。一見若くしてさっと成功したように見える人も試行錯誤の先にそれがあったていうのは、「お前も頑張れ!」というようにも思えるし、かつ「やっぱりやってみろよ!」というようにも思える。向いてること、好きなことなんてそう簡単に見つからないね。昔は書くのが向いてるねと言ってもらえたけど、今はブログのひとつ書くのも億劫というか終わりが見えなくて。

 

Game Jamの最も大切なこととしてミハイルさんが言ってたのは、とにかく終わらすということ。未熟なものであっても、とりあえず完成させるのが大事だと。細部に拘りすぎない、アンビシャスになりすぎないのも大事。

 

そういうわけで、この記事は下書きに保存された40近い記事の仲間にするのではなく、ちゃんと終わらせます。

 

感想ありましたら、メールなどに送ってください。コメント欄開けたいんですけど、開けると、サイバーアタック的意味不明メッセージ(ほぼみんな英語)で埋まるので開けれない…。

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